近所の公園の桜が、今年は少し早く咲きました。
子どもたちを新学期の朝に送り出したあと、私は家の鍵を閉めて、そのまま公園まで歩きました。ベンチにはまだ誰も座っていなくて、朝の光が花びらの縁を薄く光らせていました。春は、こういう時間から始まるのだと思います。
この記事は、papa-fpのエッセイシリーズ「暮らしと数字」の第1話です。家計の話をするのだけれど、数字そのものではなく、数字のまわりに漂う空気を描きたいと思っています。
家計簿アプリを、桜の下で開く
コートのポケットからスマホを取り出して、家計簿アプリを開きました。画面の明るさは自動でかなり落ちていて、直射日光の下でも目にやさしい表示になっています。
固定費のページ、変動費のページ、投資のページ。いつもは机の前で険しい顔をして眺める数字が、桜の下ではずいぶん軽く見えます。画面の上に花びらが落ちてくるたびに、数字の上に春が乗るような感じがしました。
ふだん家で見る家計の数字と、公園で見る家計の数字は、同じ数字なのに印象が違います。場所が変わっただけで、数字の温度が変わることがあるのだと、今朝は知りました。
削ったのは、保険料ではなく、心の重石だった

3月の終わりに、生命保険を見直しました。月々の保険料が、それまでよりもだいぶ軽くなりました。具体の金額を書くのは今日はやめておきます。削った金額よりも、削った後に気づいたことのほうを書きたいからです。
私はいつも「保険を削る」と言います。でも本当に削ったのは、保険料ではなかったのかもしれません。10年近く、心の片隅で小さく騒いでいた「入りすぎているかもしれない」という後ろめたさ――あれを、削ったのだと思います。
風が吹いて、花びらが一枚、スマホの画面のいちばん上に落ちました。「固定費」の文字の上に、柔らかい桃色が一瞬だけ重なって、すぐに滑っていきました。
家計簿の数字は、生活の足あとです。足あとの一部を見直すと、歩き方が少しだけ変わる。変わった歩き方のほうが、家族にとって楽であるなら、それは削ったのではなく、整えたのだ、と思うようになりました。
投資の画面を、閉じる
アプリの「投資」タブをタップしました。ここでも、数字は書きません。ただ、画面に並ぶグラフの傾きを、桜の枝の形と並べて眺めました。
投資というのは、毎日見ても意味のない数字を、20年持ち続ける覚悟のことだと、最近よく思います。桜が咲いて散るのを20回繰り返すくらいの時間を、淡々と握り続ける。そう考えると、今日の画面の数字は、木の枝に朝いちばんに開いた桜の1輪くらいの意味しかありません。
画面を閉じるときの指の動きは、ゆっくりでした。桜の下にいるあいだは、数字にせっつかれなくていいのだと自分に言い聞かせながら。
暮らしと数字を、季節と並べて眺めてみる

ベンチから立ち上がると、花びらがコートの肩から1枚だけ落ちました。拾わずに、そのまま来た道を戻りました。
このシリーズを書きながら、自分のために決めたことが一つあります。家計の話をする時は、机の前だけで決めないこと。週に一度、外に出て、季節と一緒に数字を眺めること。
机の前だけで見る数字は、往々にして重くなります。家計の数字は命の話と地続きだから、どうしても張り詰めます。けれども、同じ数字を桜の下、あるいは夕方の散歩道、あるいは縁側のお茶の時間に眺めると、判断に余白が生まれます。
数字を冷静に見るために、季節は思ったより役に立ちます。これが、今日の「暮らしと数字」第1話で、私が読者の方におすすめしたい、ひとつだけの小さな提案です。
読者へのひと言
明日か明後日、家計のことで何か決めないといけない夜があるなら、決める前に一度、家を出てみてください。コンビニまで5分歩くだけでもいいし、ベランダで1分だけ空を見るのでもいい。数字の重さは、外気に触れると少しだけ柔らかくなります。
次回の「暮らしと数字」は、初夏か、梅雨の入り口に書く予定です。季節の景色と家計の景色を、またひとつ、静かに並べてみるつもりです。
公園を出て、帰り道の空は、4月らしい薄い水色でした。
パパFP
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